今回は、音楽と侵略戦争のお話です。
さあ、昔なつかしい歌を歌ってみましょう。
尋常小学校読本唱歌(1910年)です。お孫さんがいらしたら、いっしょに歌えますよ。というのも、学習指導要領でW必ず載せなければならない共通教材”として、いまの「小学校の音楽」(6年生)に載っているからです。では、歌ってみましょう。
1.我は海の子、白波の
さわぐいそべの松原に、
煙たなびくとまやこそ、
我がなつかしき住家なれ。
2.生まれてしほに浴みして、
浪を子守の歌と聞き、
千里寄せくる海の気を、
吸ひてわらべとなりにけり。
いまの「小学校の音楽」には、2番までしか載っていませんが、3番、4番、5番を飛ばして、6番、7番を歌ってみましょう。
6.浪にただよふ氷山も、
来らば来れ、恐れんや。
海まき上ぐるたつまきも、
起らば起れ、驚かじ。
7. いで、大船を乗出して、
我は拾はん、海の富。
いで、軍艦に乗組みて、
我は護らん、海の国。
この歌が文部省唱歌として教科書に登場した1910年は、日韓併合の年だってことはご存知ですね。6番の「浪にただよう氷山」は、日露戦争が1904年ですから、シベリヤを歌っているのでしょう。
日清戦争で清に勝って、遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本の植民地にしたのは1895年。6番の「海まき上ぐるたつまき」は、この南方の竜巻を指したのでしょう。
7番の「いで大船を乗出して、我は拾わん海の富」の富とは、どこの富を狙っているのでしょうか。
つぎの歌はどうですか? この「蛍の光」も、必ず載せなければならない共通教材として、「小学校の音楽」(5年生)に出ているので、お子さんやお孫さんと歌ってみましょう。
1.ほたるのひかり、まどのゆき。
書よむつき日かさねつつ、
いつしか年も、すぎのとを、
あけてぞ、けさは、わかれゆく。
2.とまるもゆくも、かぎりとて、
かたみにおもう、ちよろずの、
こころのはしを、ひとことに、
さきくとばかり、うたうなり。
いまの子どもの音楽教科書には2番までしか出ていませんが、昔は4番までありました。
3.つくしのきわみ、みちのおく、
うみやま、とおく、へだつとも、
そのままころは、へだてなく、
ひとつにつくせ、くにのため。
4.千島のおくも、おきなわも、
やしまのうちの、まもりなり。
いたらんくにに、いさおしく。
つとめよ わがせ、つつがなく。
3番では、「ひとつに尽くせ 国のため」と歌い、4番になると千島列島と沖縄が出てきます。この歌が小学唱歌集に初めて登場したのは1881年(明治4年)。琉球処分で沖縄を、また「樺太千島交換条約」で、ウルプ島以北のロシア領クリル列島を日本領「千島列島」としたのが、1975年でした。戦中はこの4番の歌詞が「樺太の奥も台湾も」となり、更に「アリューシャンもサイパンも」と歌った世代もあるということです。
問題は、こうした侵略の野望を小学生に歌わせて、その意識下に侵略戦争を肯定する気持ちを刷り込んでいったこと。さらに4番のしめくくりが、「努めよ、わがせ(夫)、つつがなく」とは、憲法9条「改正」をして、わが夫や息子を戦場に送ろうとする意図があることが読み取ることができます。(北村小夜さんの講演より)
|