夕焼け小焼けで日が暮れて/山のお寺の鐘が鳴る/お手々つないでみな帰ろ/烏と一緒に帰りましょう(作詞・中村雨紅、作曲・草川信)が発表されたのは1923年のこと。人びとの愛唱歌としてうたい継がれてきた。
が、第二次世界大戦下の1944〜45年にかけて、学童疎開させられた子どもたちが、こんな替え歌を歌っていたと、最近知った(『謎とき名作童謡の誕生』上田信道著・平凡社新書)。
先月は私が、1980年から今日まで25年間にわたって世界各地の子どもと女性のための啓発運動をどのように展開し、それによって強靭な体力とボランティア精神が、いかに培われてきたかをお話しました。
今月は日本国内外に向け、広く情報の発信を行なう目的で立ちあげた(1987年)「性を語る会(FORUM ON SEXUAL ISSUE)」の活動について報告しましょう。
いま、手許に「性を語る会」の機関誌(季刊)が69号まで並べてあり、現在、70号を入稿したところです。
当会は年間数回のシンポジウムやイベントを開いていますが、その記録が機関誌として国内、国外の会員(2000名余)に送り届けられます。
外国在住の会員には、特に待ち遠しい日本文字の小冊子のようです。その見返りとして、ドイツ、アメリカ、スウェーデン、韓国などの会員から、DV(ドメスティックバイオレンス)に関するポスターや、HIV/AIDS、子ども虐待、薬物乱用防止のポスターなどが送られてきて、会場のアーニホールの壁面を飾っています。
さて、機関誌のもととなるシンポジウムやイベントの企画ですが、性教育を専門とする私が知りたいこと、知らなくてはならないことを優先しています。例えば「環境ホルモンと性・生殖」「子どもの犯罪の背景を読み解く」「援助交際の心理と処罰新法(案)」「教育基本法改正(悪)と障害をもつ子どもの人権」などなど。
私は、出勤時間前の朝6時から8時までベッドの中で新聞を読む習慣があるのですが、枕許には色鉛筆と鋏が置いてあって、せっせと切り抜きをします。私がもっと詳しく知りたいこと、性教育に携わるからには知っておかなければならないこと(例えば、「ヒトゲノム読み取り完了」とか「電磁波の大脳への影響」とか「バイオテロの歴史」とか)を切り抜くのです。
こうしてシンポジウムのテーマを決め、講師を探します。去る3月末のシンポジウム『10代に知らせたい!性感染症とエイズ』では、診療現場から産婦人科医(もちろん女性のお医者さんですよ!)と看護師長さんにスピーカーになってもらい、エイズに関してはNPOの代表者にグローバルな視点で報告していただきました。知らなかったことを次々と知っていくのは、好奇心旺盛な私にとって、胸躍る時間です。
今回のシンポジウムでは、妊婦さんの検診で性感染症がみつかったとき、どう告知するか、うつしたのが夫だった場合は夫婦喧嘩や離婚にも進展しかねないので、病院専属のカウンセラーに参加してもらうとか。「いったい愛は性感染症に勝ち得るのか?」の論争も盛りあがりました。
エイズNPO代表の話では、2000年にUNAIDS(国連エイズ計画)が創った国際エイズデーのスローガン「エイズは男が違いをつくる(Men make difference)」の意味を興味深く聴きました。「男らしさは性的な力強さだ」とする「らしさ」の神話が人類をエイズを含む性感染症拡大の危機におとしいれている。男たちがこの神話から脱却しさえすれば、現在、全世界で5000万人といわれるHIV/AIDSはやがて下火になるだろう、という意味だそう。
なるほど、なるほどと、叫んだのも束の間、「ただし、各国が翻訳して使うので意味が違ってくるのよ」「フーン。で、日本語訳は?」と訊くと『あなたも知って私も知ろう』だって。「意味が違うでしょう」と言ったら、「“日本ではまだ通じないので”と、ごまかされた」そうです。ほんと、日本って、しょうがない国だと痛感。
次回は、私が各地で性教育の講演や授業を行なっている中での、とっておきのエピソードをお話しましょう。
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