北沢杏子のWeb連載

第33回 私と性教育――なぜ?に答える 2006年11月

 

『受けとめられ体験』の授業

 

 去る10月25日、看護学生対象に、アーニホールで行なわれた私の講座のテーマは関係性の構築――最近連日のように報道される親と子、教師と生徒、上司とスタッフ、夫と妻の関係性のこじれによる事件の解決の糸口を探るために、それぞれの関係性をどのように構築していったらよいか?という学習です。
 教材として、 受けとめられ体験 と 受けとめ手への信頼 のパネルを正面の黒板に貼り、まず新聞の投稿欄にあった小学校1年生男子の詩を朗読して、「もし、あなたがこの子のお母さんだったら、どう受けとめて、なんと答えますか?」と設問しました。

 アメリカでは 男どうしで けっこんしてもいいのか?ぼく かのうくんと けっこんするワ アメリカにいって。そしたら いつでも いっぱい あそべるでェ いいか?おかあさん。


 読者のあなたがこのこの母親だったら、どう答えますか?
 学生たちの回答は「なに言ってるの」「どこで聞いてきたの」「日本では同性同士の結婚は許されていないのよ」と、まっこうから拒否に出るのがあると思えば、いまどきの若者特有の無責任発言「いいんじゃない?」「好きにしたら?」などでした。ところで、この男の子の詩は、こう続いているのです。


 おかあさんは「いいけど かのうくんと そうだんしてからな」やて。


 母親のこの対応から男の子は、受けとめられ体験を経て、受けとめ手への信頼を抱くことになるのではないか?この受けとめられ体験の集積こそが、お互いの信頼感、関係性の構築に繋がるのでは――と説明したのですが……。
 
 このあと、私が制作したビデオ『働くということ――自閉症者自立施設で――』を上映。これは、自閉症という発達障害をもつ青年たちの1年間の暮らしを追った記録映画ですが、この中での彼ら彼女らの受けとめられ体験の場面を、視聴後、発表するようにと言ってから上映を開始しました。
 物語は、雪を頂いた北アルプスの麓の山林で、椎茸の原木を運ぶ1月から始まります。次の場面は鯉のぼりが青空を舞う5月、原木に椎茸の菌を埋め込む“駒打ち”の作業。そして10月、山林に伏せた原木から生えた椎茸の収穫、選別、袋詰めの仕事。
 続いて大型ワゴン車に乗った数人の若者たちが、町のスーパーマーケットの入り口前に設けられた台の上に、自分たちの労働によって収穫された1袋300円の椎茸60袋を並べます。
 ふだんコミュニケーションが不得意な発達障害者ですが、このときばかりは「いらっしゃい、いらっしゃい」「椎茸はいかがですか」「こっち、こっち」「おいしいですよ」などと手を打ち鳴らし、声をからして販売する様子が描かれます。

 このビデオの中で、支援スタッフは1度も指示したり叱咤激励したりしません。ほめる、“ありがとう”をいう、残業料としてクッキーを配る、売上金額の報告をする……その受けとめられ体験の数々に学生たちは気づき、看護職として、患者さんとの関係性をどう構築していくかを学んだのでした。
 実はもう一つ、気づいて欲しかったことがありました。山から原木を運ぶとき、男性は太い木を、女性は細い木を両腕にかかえて、トラックがくる山麓まで運ぶのですが、施設長は、麓までの途中に2回ほど、それぞれの腕から原木を降ろして積み上げ、自分たちの労働の成果を目で見て確認させる方法を取っていたのです。トラックがくる麓までは、一度に運べる程度の距離です。しかし、降ろして積み上げる作業を繰り返すことで、労働力への受けとめられ体験と、労働力への信頼を、この障害をもつ青年たちに体得させようとしたのです。私としては、そこまで感じて欲しかったのですが……。

 

 


 

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