北沢杏子のWeb連載

第36回 私と性教育――なぜ?に答える 2007年2月

 

看護学生が中学校に出張授業にいくとき ――

さる1月16日、某県立大学看護学部3年生の学生数十人が、アーニホールの私の性教育講座を受けにきました。近く、大学周辺の中学校に「ダイエットの害」のテーマで出張授業に行くことになっているとかで、あらかじめ、たくさんの質問が寄せられました。
 出張授業を行なうにあたり、学生たちはどんなことに迷い悩んでいるのか?そのいくつかを紹介しましょう。

Q1. 現在の幼稚園・小学校、中・高校生は、各年齢ごとに「性」についてどんな疑問を持っているのか?どんなことを知りたがっているのか?

Q2. ジェンダーとは何か?男女平等をすべてに活かしてよいのか?「男らしさ」「女らしさ」として残すべきものがあるのではないか?

Q3. 性教育は男女別と男女共修と、どちらがいいか?また、中・高女子のダイエットと性教育をリンクさせるには、どのような点を関連させて話したらよいのだろうか?

Q4. 中学生にSTD(性感染症)予防の授業を行なうとき、性行動についての知識や体験のある生徒と、「性」そのものに羞恥心や嫌悪感を持ち、拒否反応を示す生徒がいると思うが、どうすれば双方に受け入れられる指導ができるだろうか?

Q5. 中学生女子の望まない妊娠、男女交際における責任の意識をどう伝えたらよいか?また、中絶後のPTSD(心的外傷後ストレス障害)に寄り添うには、どうすればいいか?


 さて、私の回答――紙幅の都合ですべてに答えることはできませんが、例えばQ2.のジェンダーとは何か?「男らしさ」「女らしさ」として残すべきものがあるのでは?は、どの学校でも家庭でも問題に挙がることですね。
 ジェンダー(社会的、文化的、宗教的、慣習的に刷り込まれた性意識、性規範)の平等は、バックラッシュの現在、新自由主義といわれる人びとから反対の声が挙がり、批判の的になっています。
 しかし「男らしく逞しく。女らしく従順に」の押しつけは、男性にも女性にも息苦しい人生を強いているのではないか?誰もが自分の個性にあった自分らしい人生を生きたいと考え、それをお互いに認めあえる社会を望んでいるのではないか――と私が答えると、男子学生の一人が反論しました。
 「“男らしさ、女らしさ”ではなく“男役割、女役割”と言いかえたらいいのでは?例えば、ぼくら看護師の間では、力のある男の方が患者さんの入浴介助などには適していると思うし……」と。
 私としては一応肯定してから(すぐに否定しないのがコツですよ)、「でも、力のある女性もいれば力のない男性もいるのでは?適材適所がいいと思うけど……」「もうひとつ、男役割・女役割の文言を認めると、かつてのテレビCMにあった『きみ作る人、僕食べる人』のように、『男は外で稼いでくる人、女は家庭で家事・育児をする人』の固定観念に繋がってしまう恐れがあると思いませんか?と説明。学生たちはしきりに頷いていました。

 Q3.ダイエットと性教育をリンクさせるには?については、ダイエットによる月経不順や無月経、若年で骨粗しょう症になる害について教えるだけでなく、雑誌やテレビなどのメディアによる影響に“左右されない意思を持つこと”について話すよう励めました。
 かつて多くの女たちが、女優のマリリン・モンローのように乳房を大きくするために豊胸手術を行ない、次にファッションモデルのトィギーが現われると、乳房をぺったんこにするために、胸に注入したシリコンを抜き、それが原因で、乳がんや免疫疾患のなどの副作用が起こった例などを話したり、また最近、ダイエットをしすぎて死亡した有名なファッションモデルの話などもするよう指導しました。

 続けて、男子学生に、「ダイエットで痩せた女性を恋人にしたい?」とたずねると、「いや、ぽっちゃりした小ぶとりの女性の方が好きです」の返事。それを聞いて「そうだ、中学生たちにそう言おう!」と、一同ガヤガヤと大喜びです。
 難しい年ごろの中・高生への指導は、教える者自身の意識が最も大切だということが伝わった、私にとっても有意義な3時間の講座でした。

学生の質問一つ一つに回答する北沢杏子


 

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