北沢杏子のWeb連載

第49回 私と性教育――なぜ?に答える 2008年3月

 

9歳の女の子の視点から描いた  1970年代のフェミニズム運動

 2008年2月24日、キューバの国家評議会議長フィデル・カストロ(81)が退任し、実弟のラウル・カストロ(76)が選出された。ラウル新議長は就任演説で、「防衛・外交・社会経済にかかわる重要決定は、革命の指導者であるフィデル・カストロ同志に引き続き相談させてほしい」と国会で提案し、満場一致で承認された。

 今回は、革命に関する9歳の女の子アンナが主人公の、かわいらしいフランス映画『ぜんぶ、フィデル(カストロ)のせい』(新進女性監督・脚本 ジュリー・ガヴラス)を紹介したい。
 弁護士のパパと雑誌記者のママのもとで、授業の前には「ごきげんよう、シスター」と挨拶するカトリック系女子学園に通うアンナ。バカンスには、祖父母の住むボルドーのお城のようなお邸で過ごすといったブルジョアー風の生活から、ある日、一転して狭いアパートに引っ越した両親は、ベトナム人のお手伝いさんにアンナを託し、反フランコのデモに熱中する。
 狭いアパートにはヒッピー風のひげづらの男たちが出入りし、“ダンケツ”だの“カクメイ”だのと、わけのわからない議論を展開。ママはママで女性開放の記事を書くためのインタビューに忙しく、狭いアパートにはどんどん“チューゼツ”の証言者たちがやってくる。
 めまぐるしい両親の思想的変化に振りまわされ、ギュッと宙をにらみつけるアンナの表情がリアルだ。家族での散歩のさなか、大きな声で「ママ、“チューゼツ”ってなーに?」と質問し、通行人が驚いて立ちつくす場面もあり、9歳の視点から見た1970年代の社会の変化が新鮮にとらえられている。

 この映画には、若い女性監督ならではの「性教育」に関するエピソードが描かれているのも興味深い。
 そのひとつは、カトリック学園の無垢な級友が泊まりにきた日のこと――更衣室もままならない狭い廊下で、アンナのパパが下着を着替えるのを見てしまう。初めて目にした男性性器に驚く級友。アンナは宗教の時間に聞いた“聖母マリアの処女懐妊”はウソで、「子どもは、こうこうこうやってつくるんだよ」と耳打ちしたりする。
 もうひとつは、ママが「ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌に、中絶に関する『343人の宣言※』というセンセーショナルな記事を書いたことだ。

 これには少し解説が必要だろう。1972年、『マリ・クレール事件』が起こる。この事件は、ごく普通の女子高生だった彼女が、級友のボーイフレンドからデート・レイプされて妊娠。当時法的に“中絶禁止”だったフランスで、ヤミ中絶せざるを得ない状況に追い込まれた結果、それが発覚して、地下鉄で働く母親とその同僚の女性2人がマリ・クレールの中絶幇助罪で裁判にかけられた事件である。

 このとき証人の1人として法廷に立ったボーボワールは、「私自身、中絶したことがあります」と証言し、「中絶禁止の法律は女性を抑圧するためにつくられた法律であり、女性の抑圧は男性優位社会が手にしている有力な武器のひとつだ」「しかし(法改正して)女が自己の願望と利益に従って母性を計画する手段を持てば、母親であることと勉学や職業を両立させることができ、男が当然自分たちのものとしている地位を得ることができるだろう」と宣言している。
 この裁判は、343人の著名な女性の宣言、252人の医師の宣言と共に全国的な社会問題と化し、1974年には当時の厚生大臣シモーヌ・ヴェイユの手による法案が可決。1982年には当時の「女性権利省」大臣イヴェット・ルーディによって中絶費用の社会保障による負担が採択されたのだった。

 こうしてアンナは、9歳にして「女の権利としての中絶の選択」を知るのである。
 ラストシーンは、カトリック系女子学園の制服を脱ぎ捨てたアンナが、男女共学の普通の小学校の友だちの輪の中に入っていくところで終る。子どもから自立した人間に成長していくとは、こういうことだ!と実感させられた映画であった。



※「343人の宣言」に名前を連ねたのは、ボーボワールのほか、フランソワーズ・サガン、カトリーヌ・ドヌーブ、マルグリット・デュラス、ジャンヌ・モローら、著名な作家、女優たちであった。

 

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