北沢杏子のWeb連載
第50回 私と性教育――なぜ?に答える 2008年4月 |
絵本『ママにもいえなかった…』批判に抗議する!―その1―
「講師のみなさんのお話を聞いていて涙が溢れました。実は私はレイプの被害者で、ずっと性のことを引きずって生きてきました」「私は広報関係の仕事をしていますが、私自身、性的虐待を実の父親から受けてきて……」――これは去る1月15日、私が代表を務める「性を語る会」主催のシンポジウム『いまこそ性教育を!――逆風の中で――七生養護学校“こころとからだの学習”裁判の全貌』の後半で、会場の方々から挙がった痛切な声です。
いままで誰にも言えなかったこと、幼い頃からずっと心の中に閉じ込めてきた性虐待被害の苦しみが、どっと口をついて出たシンポジウムだったのでしょう。このように、実の父親や近親者からの性虐待は、架空の話ではなく、現実に起こっていることなのです。
扶桑社が2007年11月に発行した『性教育の暴走――セックス奨励教育の実像』(桜井裕子著)は、全国各地の小学校で行なわれている性教育の実例を、学校名、教員名、教材や指導法までをこと細かに列挙し指弾しています。この本のなかで、1965年から性教育一筋に打ち込んできた私の頭上にも、一刀両断の剣が振り落とされました。
その好餌として挙げられたのが、今回タイトルにした絵本『ママにもいえなかった…』(ミカエル・ルンドグレン文、ウルフ・グスタフソン絵、北沢杏子、浜子ペーション共訳、アーニ出版刊)です。1995年、スウェーデン、ストックホルムの小学校の図書室で、このドラゴンの女の子が主人公のかわいらしい絵本を手にしたとき、私はぜひ「日本の子どもたちに紹介したい」と即刻、翻訳出版権を入手したのでした。
この物語は、「むかし、高い山の生い茂った森のほら穴にドラゴンの親子が住んでいました」と寓話風に、そして淡い色と優しい語り口で始まります。私が今までの40余年間に出版した120冊あまりの本の中でも、最も愛着のある本でもあるのです。
女の子のドランちゃんはいつも山のてっぺんに立って、遥かに広がる眼下の森やきらきら光る湖、遠くに連なる山脈を眺めます。すると心の中に希望や憧れ、幸せな気持ちが、泉のように湧いてくるのでした。そんなある日、ママはおばあちゃんの看病に遠い森に行くことになり、お留守番のドランちゃんは、パパと湖に泳ぎに出かけます。
「ドランちゃんはパパとふたりだけの時間を、とても楽しいなと思いました。パパはドランちゃんを強く抱きしめました。“パパ、放してよ、息ができないよ”とドランちゃんは笑いながら言いました。でもパパは、放してくれません。もっとぎゅっと抱きしめて、自分のからだを押しつけてきました。“やめて!”とドランちゃんは叫びました。パパは今まで、こんなことをしたことはありません。ドランちゃんは急にこわくなって、冷たい水の中で震えながら、『おねがい……』と小さな声で言いました……」
どんなに親しい人であっても、“いやな感じ”がしたときは「いや!」と言おう――というのが、私が性教育で、幼い子どもにも伝えているメッセージです。プライベートゾーン――女の子も男の子も、それは、わたし自身の、ぼく自身のもの。自分の意思に反して見せたり見せられたり、触られたり触らせられたりしてはならないところです。
これは成長して“援助交際の誘惑にかられた”少女たちにも、結婚して“DVの夫に迫られたとき”にも思い出してほしい。そして、きっぱりNo !と拒絶してほしい。それこそが生涯を通しての性的自立なのだという、私の強いメッセージなのです。
その夜、パパがドランちゃんのベッドのそばに現れます。「“パパはおまえを愛している。だからこうするんだよ”と囁きながら、ドランちゃんのからだの上にのしかかってきました。“いや!あっちへ行って!”と言いたいのに、ドランちゃんにはその勇気がありませんでした。こんなこと、なにか間違っている……と心の中で叫んでも、それは声になりませんでした(略)。パパは次々と、ドランちゃんにはわからないことをしました。パパのからだが押しつけられる度に、その翼のトゲがささって、ドランちゃんのあちこちのうろこがはがれ落ちました」次号につづく。