北沢杏子のWeb連載

54回 私と性教育――なぜ?に答える 2008年8月

 

高校生ゼミ
 「望まない妊娠は ゼッタイしない!」


 私は現在、私の職場であるアーニ出版ホールで、連日のように、10人から20人単位の「学生ゼミ」を行なっている。対象は主として医大付属看護専門学校3年生だが、養護施設の子どもたちがきたり、ときには高校生がくることもある。

 今回は関西のある都市からきた高校3年生について紹介したい。この学校では在学中の妊娠、出産、中絶は日常茶飯事だとか。生徒たちに「コドモを生んじゃったらどうするの?」と訊くと、「男子は退学してバイトで稼ぐし、女子の方は(子育てがあるから)主婦してる」と、あっさりした答えが返ってきた。まったくこだわっていないのである。
 ファッションも見事なもので、茶髪にピアス、ヘソ出しルックにきわめつきのメイクときている。事前の担当教師との打ち合わせでも、「うちの学校の地域の家庭環境は独特ですから……でも生徒は素直でかわいいんですよ。驚かないでくださいね」とのことだったし、実は10年ほど前、私はこの学校に講演に行ったことがあって、事情はよくわかっていたのだった。

 さて当日、1階のホールで私が制作したビデオ『正しく知る!性感染症・エイズ Q&A』を観てから、生徒たちはドヤドヤと2階の研修室に上がってきた。
 今朝6時に家を出て、7時半の新幹線で東京にきたという生徒たちだから、研修室は居眠りの場所になるかもと考えた私は、飛び切り面白いテーマで話を切り出すことにした。3本の映画の話である。1本目は邦画で『コドモのコドモ』、2本目はアメリカ映画『JUNO ジュノ 』、3本目はロシア映画の『この道は母へとつづく』だ。

 『コドモのコドモ』は小学生に人気のマンガが原作とかで、ある日、5年生(11歳)の女の子と男の子が自転車で郊外に出かけ、男の子が立ちションをしながら「あれ、立った(勃起)」。そこで面白半分にくっつけっこをした結果、女の子が妊娠。親も近隣の人びとも学校も気づかないうちに、クラスメートが結束して“秘密”を守り、雪の降る朝、村の農機具収納小屋で、友人たちの介助のもと、あかちゃんを産み落とす話である。へその緒は産婦人科医の息子が切ったと話の中でわかるストーリーになっている。
 もしこれが現実だったら「帝王切開分娩をすべきであり、新生児は未熟な骨盤から出ることが困難だから死産になるかも……」と専門医は評している。
 「いかにフィクションとはいえ、無謀な行為では?」と、私が生徒たちに問いかけると、「もちろん!」という答えが返ってきた。

 では、16歳の高校生ジュノの妊娠はどうだろう?ジュノは妊娠がわかっても、同じ16歳の彼には告げず、親友に話す。2人は“養子縁組希望夫婦”の掲載されている雑誌から、「これがいい」と思われるカップルを選び出して決定。
 堂々と大きなおなかを突き出して登校し、やがて産婦人科医院で正常分娩で生まれたあかちゃんは、その場で養親となる女性に抱かれるのである。高校生たちは、このストーリーには「ラッキーじゃん!」と肯定的だった。アメリカでもヒットした映画だというから、若い高校生たちにも異議はなさそうだ。

 最後のロシア映画は、乳児院から養護施設に移された6歳の男の子が、裕福なイタリア人夫婦の養子先が決まったとたん、施設を脱出。さまざまな危険に遭遇しながらも最初の乳児院に辿りつき、施設長の好意で母親の住所氏名が記載された出生証明書受け取って、遂に生みの母と会う感動的なストーリーになっている。

 最後に私はこう結んだ。「生まれてくる子どもの人権として、その出自を知る権利を奪ってはならない。
 であるなら、望まない妊娠は絶対にしない、させない!社会人として自立するまで完全な避妊を!」と。
 次第に引き込まれて熱心に聴き、活発な発言をするこの高校生たちの学習態度に、私はむしろ、真摯な明日を生きる力を感じるのだった。

高校生たちが喜んで抱っこした あかちゃん人形

 

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