北沢杏子のWeb連載
第65回 私と性教育――なぜ?に答える 2009年7月 |
婚外子差別と子どもの人権――婚外子差別裁判を支援して―― その1
■「子どもの権利条約」158番目の締約国、日本!
1989年に国連が採択した『子どもの権利条約』を日本が批准し発効したのは、5年後の1994年。なんと158番目の締約国だったのですから、いかに子どもの人権が、なおざりにされている国であるかがわかるでしょう。国連子どもの権利委員会は、定期報告会を開き、締約国に勧告を行なっています。
04年2月、同委員会は日本に対し2回目の勧告を行ないました。中でも「差別禁止」の12条2項に関して、「婚外子に対する差別、相続・国籍・出生登録に関する差別の廃絶。とくに『非嫡出子』の差別用語廃止を目的とした法改正をせよ」と厳しく指摘しています。
私は今、連日「学生ゼミ」を担当していますが、法律婚と事実婚、嫡出子と非嫡出子について、性教育の視点、子どもの権利条約の視点から、日本の、人権無視の法制度と融通の利かない行政のありかたを、ある「婚外子差別裁判」を実例に、学生たちに伝えています。
■婚外子差別と闘う人
その差別の実例が、去る09年4月17日、最高裁の判決で敗訴が確定した『なくそう婚外子差別、つくれ住民票』裁判上告人の介護福祉士、菅原和之さん(44)の、提訴から最高裁判決までの3年間の経緯です。
菅原さんとパートナーはその“信条”から事実婚を選び、02年7月に第1子が誕生。居住地の区役所に「胎児認知届」を提出し受理されていたので、安心して出生届に出向きました。
その際、法律婚の子ではないとして、父母との続柄欄の「嫡出でない子」に印をつけるよう強要されました。彼が、この差別用語を認めることを拒否すると区役所側は、「では付せん処理をします」と付せんを貼り、出生届を受理しました。
それには「母が届出をしないため同居人が届出。届出中に『嫡出でない子・女』の記入はないが『嫡出でない子・女』と認め受理した」と、彼が最も避けたかったわが子の人権にかかわる差別用語が2回に渡って記入されていたのでした。
■第2子には住民票も……
3年後の05年3月、第2子誕生。第1子と同じく「胎児認知届」も受理されていましたが、今度こそは付せん処理をされぬよう、父母との続柄欄に何も記入せずに提出したところ、肝心の出生届まで不受理。結果、無戸籍となってしまいました。
次に住民票作成を求めると、区側は出生届不受理を理由に、その要請を受け入れなかったので、06年6月、彼は遂に東京地裁に提訴しました。
翌07年5月の判決(大門匡裁判長)は、住民票がないことによって「予防接種、児童手当、区立幼稚園、小学校などの学齢簿の編成、国民健康保険、パスポート取得、選挙権他の行政サービスが受けられないなどの不利益が生じる」。
また、住民票作成が困難な場合は、市区町村長には職権調査の方法を行使してでも記載すべき義務があり、住基法義務違反であるとして、「出生届不受理であっても住民票を作成せよ」と命じました。これに対して区側は高裁に控訴。菅原さんも受けて立ち、裁判は第2審に入りました。高裁の判決はどう出たのでしょうか?
(つづく)