北沢杏子のWeb連載
第66回 私と性教育――なぜ?に答える 2009年8月 |
婚外子差別と子どもの人権――婚外子差別裁判を支援して―― その2
前回は、その“信条”から事実婚を選んだ介護福祉士、菅原和之さん(44)とパートナーが、子どもの出生に際し「出生届」を提出しにいったところ、居住地の区役所は、法律婚でないことを理由に受理せず、さらに住民票の作成までも拒否したことから、東京地裁に提訴。
この第一審の判決では、「子どもに最善の利益を!」を提唱する『子どもの権利条約』を順守し、「出生届不受理であっても住民票を作成せよ」と命じたところまでを記しました。区役所側はこの判決を不満として、東京高裁に控訴――その結果はどう出たか?今回は、その続きです。
■高裁逆転敗訴――
第二審の東京高裁(藤村啓裁判長)の判決は、「両親の個人的信条で届出を怠っているだけで、例外的に住民票の作成を認める場合には当らない」と弾劾。
さらに「日本の民法は法律婚主義を採用しており、嫡出子と非嫡出子を分けるのは差別とは言えない」と広言し、住民票についても、「子は現在2歳であり、選挙権不取得の不利益は現実化しておらず、その他の行政サービスは、手続きが煩雑であるとしても、住民票登録者と同じ扱いがなされるはず」と、07年11月、逆転敗訴となりました。
判決の「煩雑であるとしても」の煩雑さは実に大へんなもので、予防接種や乳幼児定期健診、児童手当、区立保育園・幼稚園の入所・入園手続きなど、その都度いちいち申請書を提出し、認可され、通知を受け取ってから実施という、いわば区役所に日参する労力を強いられるものでした。
こうした煩雑な日常生活の中でも、菅原さんとパートナーは、“信条”を曲げることなく上告、最高裁という終審判決に期待を寄せたのです。
■最高裁判決を傍聴して……
しかし、09年4月17日の最高裁判決は、「上告人の上告を棄却する」の僅か十数秒であっけなく終了。小法廷傍聴席の最前列に座った私の目の前で、彼の肩ががっくりと落ちるのを痛々しく見守る他はありませんでした。
ただし、判決文には今井功裁判長の意見書が付記されてありました。
「他の3人の裁判官の『上告人母が出生届提出を怠っていることに、やむをえない合理的理由がない』とした多数意見により判決はなされたが、私はそれらの意見とは見解を異にし、区長が上告人子の住民票の記載をしなかったことは(1審判決と同じく)住基法義務違反と考える」。「住民の受ける行政サービスは出生のときから始まるのであって、住民の側に大きな不利益が生じることは明らかである」と。
まさに『子どもの権利条約』の「子どもに最善の利益を!」がうかがえ、僅かながら愁眉の開かれる意見でした。
それにしても日本の婚姻制度は依然として、妻の98%余もが夫の氏(姓)に組み込まれる家父長制の残滓と、子に差別というつけを負わせる仕組みになっていることを痛感せざるをえません。
■法律婚をしない信条とは?
なぜ、このカップルが法律婚をしないのか?を疑問に思う読者も少なくないでしょう。下記は菅原さんの意見です。
現行の民法750条は、「夫婦は婚姻の際に……夫または妻の氏(姓)を称する」とされ、一見「夫の姓と妻の姓の選択」は対等に位置しているものの、実際には女性が改姓するのが当然と98%余の女性が夫の姓を名乗っています。
私たちは「結婚によって自分の姓を犠牲にしなくてもよい」と考えました。しかし、犠牲を払わないことによって、私たちの子どもが「嫡出でない子=正統でない子」という差別をされることはおかしい。「入籍すれば子どもは『嫡出子=正統子』になるのだから法律婚をすればいいじゃないか」という人もいます。私たちは「犠牲」か「差別」かの、どちらかを選ばなければならないのでしょうか?
私たちがこだわっていることは形式的なことかもしれません。でも、形式だけでも「犠牲」や「差別」を拒むことが、差別のない生きやすい社会を次世代に渡していくことに、少しでもつながるかもしれない――そんな期待をこめて、私たちは事実婚を続けているのです。