北沢杏子のWeb連載
第80回 私と性教育――なぜ?に答える 2010年10月 |
「受け止められ体験」と信頼関係の構築 その1
――ぼく、ぜったい、けっこんしないからな!――
「児童養護施設」をご存知ですか?事情があって親が養育できない子ども(幼児から18歳まで)を育てる施設で、全国に約560施設あり、主に地域の児童相談所を通して入所します。親の長期入院や死亡、夫婦間のドメスティック・バイオレンス(DV)、貧困、虐待、育児放棄と、さまざまな生育暦を抱えた子どもたちですが、施設職員の方々の養護・指導の下で、規則正しい生活、地域の学校への通学を経て自立し、社会に巣立っていく少年・少女が多いようです。
とはいえ、生育歴の中で歪められてしまった生活態度や感性、価値観の「育てなおし」には、難しいものがあります。今回は、私が代表を務めるアーニ出版・ホールに通ってくるさまざまの研修生の中での、特に児童養護施設の子どもたちのエピソードを紹介したいと思います。
ある日、小学校低学年の子ども数人を連れて、施設指導員の女性の先生がやってきました。アーニホールの正面舞台には大きなスクリーンがあって、教育教材ビデオが映写されるようになっており、客席を囲む壁面には、ぐるりとマグネット式の性教育教材が貼られています。
この日の施設側からのテーマは『わたしはどうして生まれたの?』だったので、私はマグネットつきのノドボトケや乳房、わき毛、性毛などのパーツを子どもたちに渡して、壁面に展示してある幼児期、思春期、成人男女の人体図に「貼りつけてみて!」と声かけをしました。
ふつう、小学校3、4年生までは、まだ、マンガ、雑誌、ゲームなどによる商品化された性に汚染されていないので、あれこれと楽しそうにパーツを貼ったり、間違えて貼りなおしたりします。ところがこの日は違っていました。お父さんとお母さんに見立てた人体図にパーツが貼られていくのを、眉をしかめて凝視していた小学校3年生の男の子が、突然、私の前にやってきて、こう宣言したのです。「ぼくはケッコンしないからなッ。ぜったいにしないからなッ」と。この子はたぶん、日常的に父親から暴力をふるわれる母親の姿を見ながら育ち、施設に入所してきたのでしょう。
最近になって、両親間のDVを日常的に見てきた子どもは、そうではない子どもと比べ、右脳の視覚野の一部が20.5%萎縮しているとの研究結果が発表されました(熊本大大学院生命科学研究所の友田明美准教授と米国ハーバード大の研究チームによる)。DVの記憶がトラウマ(心的外傷)となり、フラッシュバックや夢などで繰返し思い出すことで視覚野が必要以上に活動し、脳の伝達物質が過剰に放出されて脳細胞が悪影響を受けるためだそうです。
あ、いまこの瞬間にもこの子の大脳の視覚野の血流が激しく動いている……と私は思いました。で、気を静めて、さり気なく言いました。「うん、結婚しなくていいよ。きみの好きなようにすればいいんだよ」と。男の子は安心したように、こっくりと頷きました。するとこの様子を見ていた施設の先生がすっ飛んできて、彼を抱きしめました。「そんなことないッ。きみがいまに年頃になったらステキな彼女ができて、幸せな結婚をして、幸せな家庭をつくるんだものね!」。
『性暴力の理解と治療教育』の著者、藤岡淳子さんはその著書の中で、「(そうした相手と)騙しあい、張り合うことは、すでに相手の土俵に取り込まれていることであり、逆転移が生じる可能性が高い……(略)大切なのは、ゆとりとユーモア、工夫と創造である」と述べています。
私は一年ほど前に「児童虐待防止委員」に任命されてから、生育歴に問題を抱えた子どもたちに最も必要なのは、「受けとめられ体験」を重ねることではないか考えるようになりました。講演などでよく、テキストに使うのは、大阪の小学校1年生の、つぎの詩です。
アメリカでは、男どうしで/けっこんしてもいいんだって。/ぼくかのうくんとけっこんするヮ/アメリカにいって。/そしたら、いつでもいっぱい遊べるでェ/いいか?お母さん。
これに対して、お母さんやお父さんに想定された聴き手の方々は、「だめ!結婚は男性と女性がするものよ」とか、「(民法では)18歳になるまで結婚はできないんだ」「バカなこと言うんじゃない」と答えます。
つまり、この男の子の気持ちは拒否され、「受けとめられ体験」を奪われたことになります。「受けとめられ体験」を重ねることで、子どもと親、または施設の子どもと指導員の信頼関係の構築がなされると思うのですが……。この詩の続き「お母さんは、どう答えたか?」は、次号で。