北沢杏子のWeb連載
第82回 私と性教育――なぜ?に答える 2010年12月 |
エイズ ――その歴史を振り返る――T
12月1日は世界エイズデー。現在、私が連日行なっている学生ゼミ(対象は主に医大附属看護専門学校3年生、年間700名)の講座のテーマも、年末になるとこの世界エイズデー(エイズ患者やHIV感染者に対する差別、偏見の解消を目的として、1988年にWHOが定めた記念日)に関連して、『HIV/AIDSに対する偏見について』などの要望が増えてきます。で、改めて、いま世界のHIV感染者/エイズ患者の累計が推定3,500万人、死亡者の累計2,000万人、しかも感染者は毎年300万人ずつ増え続けているという、この“終りなき感染症”についての歴史を振り返ってみようと思います。
1981年6月5日、米疾病対策予防センター(CDC)の死亡疾病週報(MMWR)に、ゴッドリーブ医師らによる次のような報告が……、「1980年10月から81年5月の間に同性愛者の若い男性5人がロサンゼルスの3つの病院でカリニ肺炎と確認され、このうち2人は死亡。5人の患者全員にサイトメガロウィルス(CMV)感染とカンジダ真菌感染が確認された」。さらに1ヵ月後、同じくMMWRで、「カポジ肉腫という皮膚ガンがカリフォルニアとニューヨークのゲイ(同性愛者)コミュニティで多く確認された」との報告が掲載されました。
カリニ肺炎やカポジ肉腫は、高齢者や免疫力の落ちた人にまれに見られる病気で、体力のある若い男性が相次いでかかる病気ではない。なぜ、こういうことが起きたのか?原因がわからないままGRID(ゲイ関連免疫不全)と呼ばれるようになり、同性愛者に対する差別意識が、この原因不明の感染症への恐怖感とあいまって、同性愛者バッシングの標的となっていきました。
感染した人びとは病気との苦しい闘いを続ける一方で、職場からの解雇や医療機関での診察拒否、学校でのいじめにあっての登校拒否など、偏見と差別の渦中に投げ込まれたのです。
私がニューヨークで取材していた1998年になってもまだ、ワイオミング州在住のゲイの大学生マシュー・シェパード君(21)が、地元のホモフォビア(同性愛者嫌悪グループ)とみられる2人の男性からリンチを受け、意識不明のまま死亡するという事件が起こり、これに抗議するデモがニューヨークのメインストリートで展開されたほどです。
さて、話をもとに戻して、カリニ肺炎やカポジ肉腫といったエイズのさまざまな症状が現れる(発症する)のは、HIV(1983年になってやっと解明されたエイズを引き起こすウィルス)に感染してから平均10年後とされています。つまりエイズの最初の症例が報告されたのが1981年だったということは、1970年代にはすでに、米国西海岸のゲイコミュニティには、このウィルスの感染が広がっていたと考えられます。
西海岸だけでなく、東海岸も同様で、ニューヨークのセントルーカス・ルーズベルト病院のラング博士は1981年の初めに“新しい病気”の存在に気づき、研究パートナーの稲田頼太郎博士と共に原因や治療に関する研究を始めています。
ところで、米国のゲイコミュニティが隠然たる勢力を持つようになってきたのは、1970年代の、それまで差別され続けたアフリカ系アメリカ人の解放運動、同じく性差別社会の転換を主張したフェミニストたちの女性解放運動に引き続き、ゲイ解放運動がもたらしたものだという説があります。
1987年にベストセラーとなったサンフランシスコ・クロニクル紙のシュルツ記者著『そしてエイズは蔓延した』によると、ゲイ解放運動は北米大陸に何百というバスハウス(社交浴場)やセックスクラブなどの産業をうみ出し、長い間抑圧されていた同性愛者たちに、自由恋愛や買春の場を提供した。それがエイズの爆発的な流行につながったのだと述べています。エイズを引き起こすウィルスHIVは、男性の精液の中に最も多く含まれており、MSM(男性と男性の性的接触)のオーラルセックスやアナルセックスが、このバスハウスやセックスクラブで公然と行なわれるようになったからだと。
しかし、やがて輸血や血液製剤による血友病の感染者や、麻薬の注射器(針)のまわし打ちによる感染者へと、この奇病はみるみる広がっていき、「同性愛者特有の病気ではない」ということがわかってきたのでした。
1987年秋、私が北米に取材に行ったころは、まだまだ、この病気の真相は一般市民にはわかっておらず、“エイズパニック”が全市を覆っているといった印象でした。市公衆健康教育局は、ニューヨーク市在住の800万人のうち、50〜75万人がHIV感染者であり、毎月300人以上が発症していると発表。私の友人は、親しい仲間11人をエイズで失ったと打ち明け、病院の看護人が病室に入るのを拒んで、食事のお盆も廊下に放置されたままだったと、涙ながらに話すのでした。
当時のニューヨーク市長エドワード・コッチ氏も陣頭に立ち、エイズ予防対策に必死の構え。彼のエイズ予防政策『コッチ声明』は、のちのちまで話題になったほどです。
ところで、今になって考えると信じられないことですが、1981年の“奇病発生”の報告後、数年間というもの、エイズは男性同性愛者、麻薬乱用者、血友病の人びとの病気で、女性には感染しないという“神話”がまかり通っていたのです。
米疾病管理局でさえ、異性間の性行為はそのカテゴリーに入れないまま通し、ニューヨークの保健局が“腟性交”を“感染の危険性がある行為”に加えたのは、なんと1986年も後半に入ってからのことでした。
次回は『女性とエイズ運動』の模様を紹介しましょう。