2011. 7月

       
 


臓器移植――小説と現実の事件から考える―― そのT 

 
 

「性を語る会」代表 北沢 杏子

 
       
   

本稿は、月替りメッセージ「ベストセラーになった『臓器移植の小説』を読む」(2010年4月)の続きです。

 映画『わたしを離さないで(Never Let Me Go)』(監督 マーク・ロマネク、脚本 アレックス・ガーランド、原作 カズオ・イシグロ)は主人公の介護士キャシーの静かな語り口で、過去から現在へと展開する遺伝子工学の不気味な物語りである。
 原作者カズオ・イシグロは1954年に長崎で生まれ、5歳のとき海洋学者の父と共に渡英。そこで育った。1982年、小説『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、以降、連続受賞してイギリス文学の最高峰ブッカー賞に輝く作家である。2005年に発表した『わたしを離さないで』は、英米の各紙誌でも絶賛され、世界的なベストセラーとなった――と解説にある。それにしても、遺伝子工学が今後ますます進展していく中で、臓器移植のためのクローン人間が造られるこの小説は、SFの世界を超え、現実味を帯びて迫ってくる空恐ろしい作品だ。

 物語は、イギリスのどこかわからない山間の、古びたお城のような建物――ヘルーシャムと呼ばれるそこに20数人の思春期の少年少女が暮らしている。数人の女性教師がいて、授業、コーラス、スポーツ、おしゃべり……初めは寄宿舎か、あるいは何かの施設かと思ってしまう。題名になっている『わたしを離さないで』は、主人公のキャシーが手に入れた1本のカセットテープ。夢みがちなこの12歳の少女は、♪オー、ベイビー、わたしを離さないで……と歌曲にあわせながら、ベイビーに見立てた枕を抱き、からだを揺らせて、将来の自分の姿を夢想する。男の子たちも将来は映画俳優になるの、スーパーで働くのと将来を語りあっているが……。ある日、決意したルーシー先生が言い放つ。「あなた方の将来は決まっています。あなた方は臓器提供のために作られた存在で、それが使命です。ですから無益な空想はやめて、自分が何者で、先に何が待っているのかを知りなさい」と。真実をばらしたルーシー先生は、ただちに追放される。
 やがてヘルーシャムで育った3人は成人後、ルース、トミーの順に臓器提供者となり、4〜5回にわたる提供を終えて死に向かう……。2人の術後の介護にあたった介護士のキャシーも、「今年が終れば(提供者として)こうして車で走り回ることもなくなります(略)。わたしは自制し、行くべきところへ向かって出発しました」で、小説は終っている。
 ところで、原作にだけある不思議な場面がある。ヘルーシャムでは13歳になると「性教育」が行なわれ、恋愛やセックスが黙認されることだ。周囲を有刺鉄線で囲まれ閉じこめられた施設の中で、思春期の少年少女の性行動は激しさを増していくが、「先生たちは、私たちにセックスをさせる義務を負っている」「腎臓や膵臓が正常に機能するにはセックスが必要」「セックスをしておかないと将来、よい提供者になれない」と、少年少女が話す場面である。ドナーとして価値ある臓器を造るための性交の励め――性教育を仕事とする私には「それってホント?」と言いたくなる情報だ。

 さて、お話変わって、2011年6月末の「臓器売買画策容疑 医師ら5人逮捕」の新聞記事※から現実の臓器移植事件に移ろう。東京都江戸川区のクリニック院長で医師の堀内利信容疑者(55)は、2005年8月、慢性腎不全と診断され、2007年2月、「日本臓器移植ネットワーク」に移植希望者として登録する。だが、ネットワークを通じた国内での心停止・脳死による臓器がなかなか得られなかったため、2008年5月、フィリピンに渡航した。が、フィリピン政府は、悪質な仲介業者による臓器売買が横行していることから同年4月、外国人に対する生体腎移植の禁止を表明――堀内容疑者の移植は一足違いで実現しなかった。

 そこで妻の則子容疑者(48)が、自分が経営する会社の従業員の女性(40)に頼んだところ、女性は「生体移植は健康に悪影響を及ぼす可能性があり、養子縁組などの戸籍上の操作も必要である」ことを知り拒否。仕方なく、2009年夏、スナックの店員佐々木ひとみ容疑者(37)に相談した。すると、暴力団員滝野和久容疑者が同じ組員の坂上文彦容疑者(48)を紹介。同年10月1日、堀内容疑者と坂上容疑者の間で虚偽の養子縁組が行なわれ、東京都板橋区の病院で生体腎移植の準備が進められた。滝野容疑者はこの見返りに、1,000万円を受け取っており、その後も「お互い臓器売買は違法だと知っていたはずだ」と脅して、更に1,000万円を要求、この話は決裂した。そして、次の臓器入手の手段は?

 その前に「臓器移植法」の説明が必要だろう。私が代表を務める「性を語る会」は、2010年3月13日、『改定 臓器移植法を考える』と題したシンポジウムを開いたが、その日のゲストスピーカーの1人、“臓器移植を問い直す市民ネットワーク”事務局長・川見公子さんの発表の中から、日本の「脳死と臓器移植法」の歴史を辿ってみたい。(次号につづく)

※東京新聞(2011年6月24日)、朝日新聞(2011年6月24日/25日/26日/27日/28日/29日)

感想をお寄せください

 
 

 「月替りメッセージ一覧」へもどる   

トップページ「北沢杏子と性を語る会」へもどる