『居場所を探して―累犯障害者たち―』(長崎新聞社 累犯障害者取材班 著 樺キ崎新聞社刊)を手にして、刑務所の新規受刑者の25%(6,000〜7,000人)が知的障害者、発達障害者、聴覚障害者たちで占められているという事実に驚かされた。
本書に出てくる知的障害のある男性(48)は、空腹と煙草銭欲しさに神社の賽銭箱をあさり、その場で職務質問されて連行、そのまま逮捕・拘留となった。罪名は「常習累犯窃盗」。10年間に3回以上実刑を受けると、この罪が適用される。彼は10代の頃から盗んでは捕まる、刑務所を出ては盗む、捕まる、を繰返し、これまでの半生を刑務所の中で暮らしてきたという。
こうした悪循環を何とか食い止めようと、2009年に開設したのが「地域生活定着支援センター」で、長崎県を皮切りに全国に広がり、全都道府県に開設された。そもそも、障害のある受刑者のために「福祉と司法を繋ぐ」ことを考え実践に移したのは、長崎県雲仙市・南高愛隣会の代表、田島良昭氏という人物。彼はセンター発足と同時に、県内の弁護士、精神科医、福祉の専門家の協力を得て、「判定委員会」、「更生プログラム開発委員会」、「検証委員会」を立ち上げたのだった。
そして、前述のような累犯障害者が窃盗や無銭飲食、放火などの罪を犯した場合、弁護士が接見し「判定委員会」に連絡する。判定委員会・事務局は、すぐさま委員を招集し、容疑者・被告に障害があるかどうか、刑務所での矯正がふさわしいのか、それとも福祉施設で専門的な処遇をした方が更生につながるのかについて議論する。そして後者がふさわしいとの結論に達した場合は、裁判所に刑の猶予を求める意見書を提出。執行猶予の判決が出たら、南高愛隣会が運営する「トレーニングセンター・あいりん」に入所し、生活訓練と就労のトレーニングを受けながらの生活を支援する、つまり、刑務所を出たあと行き場のない累犯障害者を福祉施設に繋げるのではなく、刑務所に入る前の裁判の段階から関与し、福祉に繋ぐべきだ―即ち「出口」ではなく「入り口」での支援こそ必要、という発想である。
本書の次の登場人物は、常習的な万引き犯、といっても、空腹になるとコンビニの弁当を万引きするといった無職の初老の男性(60)で、知的障害の疑いもある聾唖者。彼は裁判で実刑判決を受けたが、前述の3つの「委員会」は、控訴審で猶予を勝ち取り、刑務所でなく更生保護施設に入所。控訴審で「委員会」が裁判官に誓約したとおりに、現在は、グループホームで暮らしながら自立訓練施設とパン工場に通っているという。順調な滑り出しである。
私はいま、障害者・グループホーム入所青年(30)の裁判の傍聴に通っている。彼は知的障害のある気弱そうな累犯障害者のひとりだが、市の行政事務所・更生相談所からの要請で、グループホームに入所。日常生活は真面目そのもので、日課もきちんと果たす更生ぶりだったが、グループホームの女性に恋をして失恋。失望の余り、たまたまキッチンにあった包丁を手に呆然状態で深夜の駅周辺を徘徊し、「銃砲刀所持違反」で逮捕され拘留された。
知的障害者が警察官や検察官の取り調べを受ける際、相手に誘導されて、不利になる嘘の供述をするのは、よくあることだと聞く。彼も「無差別殺人をするつもりで、包丁を持ち出したのだろう?」と詰問され、つい頷いてしまったのではないか。傍聴席の私の前を、手錠と腰縄をつけられ、警察官に引き立てられながら入廷してくる彼を見るにつけ、胸が痛む。「判定委員会」の支援に繋げる具体的な方法を知りたいと、切に思う。
2012年の春、南高愛隣会の田島良昭氏は、元厚生労働省雇用均等・児童家庭局長村木厚子さんから電話を受けた。「文書偽造事件」で不当逮捕・起訴されたこと(無罪確定)で、国から支払われた損害賠償金3,333万円を「累犯障害者の問題に使ってほしい」と。田島氏は喜んでこの寄付金を基金とした『共生社会を創る愛の基金』を起ち上げ、同年3月10日、基金の設立式が開催された。会場には彼を囲んで、「獄窓記」の著者で元衆議院議員の山本譲司氏、元宮城県知事浅野史郎氏、最高検・検察改革推進室長林真琴氏ら、累犯問題にかかわるそうそうたるメンバーが基金の門出を祝った。累犯障害者たちのために「福祉と司法を繋ぐ」活動の、更なる発展を期待すると同時に、広く一般に、この事実を知らせたいと考え、ここに記述した次第である。
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